鹿目まどかとそれ以外に分けられる。
湯浅誠の言うところの溜めがあるかどうか
ではっきり区別される。
鹿目まどかは溜めがある。
美樹さやかは不明。
その他は溜めがない。
溜めと行動に余裕が生まれる。
溜めがない方は余裕がなく、感情的に不安定
全員について言えるが、自閉的というか
アスペルガー的である。
一部のアニオタで同様の傾向を持つ人間には
深い共感を与えると思われる。
鹿目まどかは安定した過程の下に、
しっかりとした人格を持っている。
それが、緊急時における異様に冷静で大胆な判断
(巴マミを一発で打ちぬくシーン、さやかのソールジェムを投げるところ、最終話での契約のシーンなど)
安定した家庭環境がが安定した性格を生みと、キャリアウーマンである母の決断力がうまく受け継がれている。
また父親のやさしさも受け継がれている。
ようするに、両親の性格とまどかの性格の連続性がうまく描けていると思う。
巴マミの場合は両親や友人がいないことに対する
不安定性が顕著である。
善意で行動しているつもりが、
自分の都合の良いように他者を誘導してしまうところ。
自分の信じていた世界が壊れると、
錯乱してしまう。
溜めがないために、
与えられた状況に全て依存してしまう。
それが、QBに対する極端な信頼であったり、
まどかや美樹さやかを危険であるにもかかわらず、
魔法少女体験ツアーに連れて行ったり、
暁美ほむらに図星をつかれると、敵対してしまうところにあらわれる。
自分の世界が崩壊した時に対する極端な不安定は、
ほむらと対立するシーンやソウルジェムを打ち砕くシーンにも表れる。
依存性が、自らが正しいとする考えに対しても向くのである。
例えば、自分は正義のために魔法少女で戦っているという考え方や、後輩二人に対して善意で判断材料を与えている事が正しいとする考え方である。
それが壊れるとのは、具体的には、魔法少女のシステムが分かる、
あるいは、後輩二人を見学につれることが、彼女らにとって良い結果につながらないとほむらに指摘される時である。
自分の世界が壊された時に、そこに百パーセントに近く依存していたがために、非常に不安定な精神状態に陥り、それまでの一見しっかりしているように見えるふるまりがあっというまに崩壊してしまう。
暁美ほむらについて。
言うまでもなく一週目の鹿目まどかにすべて依存している。依存先をまどかに一元化しているがために、
一見強い安定性やエネルギーを生んでいるように見える。
しかし、まどかに関する状況が揺らぎ始めると、
その仮面が一気に崩壊する。
美樹さやかについて。
本人が幸せバカだというほどには
恵まれた環境にある。
早乙女和子がいうように、上条や仁美との
恋愛沙汰も、通常の思春期に経験しがちな
ことから大きくは逸脱していないように思う。
ただ、天才的な才能をもった上条が怪我により断念
せざるを得なかったこと。
幸せバカであることによる他者に対する異常な同一視。
自分の世界に以上に執着するという点が他の魔法少女と似ている。
佐倉杏子
魔法少女となりすぐに、自分の信じていた世界が崩壊するが、自分のために生きていくことを決断。
一見、現実を受け入れたかの用に見えるが、
こころの奥底ではかつてもっていた自分の世界を
信じたがっている。
美樹さやかにかつて同じ状況を見て改善を促したり、
同情したりするのもそれで説明される。
最後は自分の信念(妄想の世界)に殉じた。
まとめ
全員に共通して言えるのは、
自分の持っている世界観を強く信じる過ぎる傾向。
正しすぎる子供といいかえることもできる。
まどかとほむらを除いて子供の世界が崩壊するとともに、
自分の命も散ることになった。実は上条についても
同じことが言える。バイオリンが好きで才能で全てが通用する子供の世界が崩壊することで悲劇が生まれた。
まどかは母の助言や恵まれた環境を背景にした安定性や思慮深さにより、最後に子供であることを貫き通す決断をしそれがQBの世界観(大人の考え方、子供じみた感情よりも合理性を優先する考え方)に打ち砕くことになった。
子供的な世界観を強く持ったキャラクターが成長に失敗して悲劇を起こす様子が、おなじく、子供的な世界に深く没入している、あるいはそうありたいとおもっている大きなお友達に強い同情を引き起こし、そのしゃがみこみが、
最後のまどかに象徴される子供的世界観が大人的な世界観に勝利してそれが、そのまま宇宙全体の真理に書き換えられるという、子供的自閉的な世界観が宇宙レベルで全肯定されることにより
大きな感情の開放を生みだしたのだろう。
もし原作の虚淵玄がオタクの心情を読み取り
その感情の振れ幅を最大化するため(つまり魂の死、自らの子供世界の消滅=0から宇宙そのものが自分の望んだ子供世界になる+∞への上昇)にこの脚本を書いとすればすごい実験作だと思う。
アニメを作る戦略として、オタクの理想を書くことあるが、 彼らの持つ幼児性を最大限に利用できたのであれば、
それは、オタク業界の脚本家としてある意味で最高峰の成功(作り手としての目的を純粋化してそれをこれ以上ないレベルで実現する。)といえるだろう。
個人的には、それは実際かなり成功したと思われる。
また、今回の新編映画にさらにその傾向が追加された。
一期の最後では、ほむらは自分のアイデンティティーの全てであったまどかとは二度とあえなくなるが、まどかの残した世界(=概念となったまどかそのものの)でたたかっていくといういわば、妥協した世界で大人の女性に成長したのであるが ほんにんはそれを受け入れているかのように描かれている。
多くの大人になれないオタク達にはそれなりの痛みを感じるシーンであっただろうが、それぞれになんとか納得をしていたと思う。それでも、やはり受け入れがたいと思っていた人も多いと考えられる。
だが、今回の映画ではほむらは暴走し、結局子供の世界を最後に手に入れることになった。ここにも、
子供の世界を手放して大人になることを拒否して、
強引に子供の世界を維持するという仕掛けがされている。
個人的な感想としては、この作品の本質は脚本の虚淵氏にオタクの持つ大人になりたくない願望を完全に見透かされ、その感情を最大限に利用されたということになると思う。
その点に関しては完全に敗北したと感じがする。
だがここまでやられるといっそ清々しいとも思う。
この徹底的な敗北経験を何かに生かせればとは強く思う。
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