2013年11月24日日曜日

暴力によって成長を加速できるか ~文明論・教育論的見地から~

既得権益により社会は固定され、文明の進歩は遅れる。
止まった時計の針を進めるためには、既存の社会の枠内で活動するだけでは不十分である。
暴力により社会の枠組みがこわれ、そのあとで正しい意思が社会の中枢を占めれば、文明は一気に加速する。
実際にフランス革命、明治維新、太平洋戦争後の民主化、これは暴力により文明が不連続てきに大きく前進した例である。
共産主義者たちはそういった性質は抽象化し、
文明が一つの軸にそって進化するというていを設け
積極的に暴力革命を繰り返ることでその進化を速めるべきだと考えたのかもしれない。
だが、共産主義はほぼ崩壊し、
日本国内においても、全共闘の活動は失敗した。
また、オウムによっても彼らもの持つ独自の価値基準に基づいた社会の進歩実現させるためにテロが行われた。
しかし、それも失敗している。
暴力による運動が失敗することは明治以前にもいくらでもあった(むしろ失敗することがほとんどだったのかもしれない。)
 だが、あえて、その二つの失敗を特別視するならば、
社会が巨大化して、社会全体の情報量が増えすぎたことと、社会が成熟して多くの人が安定した生活を手に入れたことに原因があるかもしれない。
前者の結果として、情報速度が上がったことで、どのような価値も相対化されやすくなったので、社会全体で連帯することがありえなくなった。
後者結果として、多くの人にとって自分だけの既得権益をまもることに終始しても、それほど社会矛盾が生じなくなった。

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